2016年7月16日土曜日

80名で宣伝 労働者連絡会、自治体労働者の会 
憲法を守る政治を
首都東京から取り戻そう!
住んでよし、働いてよし、環境によし、
の東京を 
   716日 池袋駅東口、メガホン・ビラ配布
 716日(土)池袋駅東口、労働者連絡会、自治体労働者の会の計80名が宣伝。 午後2時から3時までのこの宣伝に桜井西武革新懇事務局長らも参加。    
    東京自治労連のメンバーら
     池袋駅北東口
     池袋駅 東口
     池袋駅北東口


都知事選あらかると716日)-3 
東京都内に7つの米軍基地、面積では全国第4  
▼基地はいらない、戦争はいやだの声を国政に
  鳥越俊太郎さんの立候補に、いろんな分野で活動している団体から支援の声が上がっている。全国革新懇、全労連、東京地評は当然だが、14日には日本平和委員会も声明を出している。アピールを出している。「人権・平和・憲法を守る東京を、は平和委員会の目指す方向と完全に一致する」―。
 あまり意識されないことが問題だが、東京はダントツの沖縄に続いて、面積でいえば、青森、神奈川に次いで、4番目の「基地自治体」だ。都内には、横田基地や硫黄島のほか、府中通信所、赤坂プレスセンターなど、現在7つの米軍基地があり、総面積は約1,602ヘクタール、東京ドーム約340個分の広さ。旧日本陸軍の多摩火工製造所の後、米軍に接収され、弾薬庫として使われていた土地は、現在は、ゴルフ場、キャンプ場、野外スポーツ施設等を備えた米軍人とその家族のためのレクリエーション施設となっている。
 ついでにいえば、横田基地があるせいで、東京だけでなく、埼玉、神奈川、栃木、群馬、新潟、山梨、長野から、静岡までの各県、首都圏全域の航空管制は米軍が行っている。大体、首都に外国の軍事基地があるなどというのは独立国では例がないといわれるが、対米従属の自民党支配が占領後もこの状況を許してきた。
 14日夜のBSフジの「プライムニュース」では、鳥越氏は「米軍横田基地へのオスプレイ配備ははっきり反対。横田基地の周りは住宅地。墜落したらどんな災害になるか」と述べたが、増田氏は「国政と都政は峻別する」と一切触れず、小池氏は「防災の観点でオスプレイは受け入れるべき」と主張。争点ははっきり出た。都民の安全を守るのは、都知事の重要な職務。なのに、この調子だ。
 沖縄では、参院選が終わったとたん、東村高江の米軍ヘリパッド建設の強行が再開された。11日以降、反対住民を強制排除して資材の搬入を開始。辺野古が進まないでいる分、こちらで取り返そうとするのか、週明けには、機動隊500人も投入する意向だという。
これは決してよそ事ではない。機動隊は東京からも行くだろう。

 鳥越知事になったからと言って、横田基地がすぐ返還されたり、管制が日本に戻ってきたりするわけではない。だが、沖縄で翁長知事が実践しているように、国政に向けて困ることは「困る」とはっきり言うのが大切なのだ。「基地はいらない。戦争はいやだ」―。都知事を先頭に「困る」と言い続け、都民が立ち上がり、やがて全国の声になり、国政を変えていく。それこそ、横田基地問題だけではなく、いま求められている日本の革新の道筋である。 (M) 



宇都宮さんの決断に応え、必ず鳥越さんを都知事にしよう 気象学者 増田善信
 東京都知事選挙が始まりました。鳥越俊太郎都知事候補は第一声で、「住んで良し」「働いて良し」「環境に良し」の「三つの良し」の東京を作りたいと決意を述べたと報じられています。
鳥越さんは参議院選挙の開票の結果を見て「参院選で改憲勢力が3分の2に議席を取った現実にぼうぜんとなった。民進党に頼まれたわけではなく、自分で何かやれることはないかと出馬を決めた」と東京新聞(2016712日夕刊)の取材に答えています。
 確かに、参院選挙は11の1人区での野党共闘が勝利し、私の支持する日本共産党が3議席から6議席へ倍加するという成果がありましたが、改憲勢力に3分の2を与えたことはショックでした。しかも、選挙中は憲法問題に口をつぐんでいた安倍首相が,開票直後の記者会見で、改憲問題について聞かれ「憲法審査会での議論は、わが党の案をベースにしながら3分の2を構築していくのが政治の技術だ」と表明し、「草案の実現は総裁の責務だ」と意欲を示したといわれています(「東京」2016712日日刊)。鳥越さんだけでなく、私も大変な危機感を持っています。何としても鳥越さんの勝利で、立憲主義を守り、憲法9条を守る日本の姿を内外に示す必要があると思います。
 しかし、鳥越さんの出馬の陰で、宇都宮健児さんの都知事選からの撤退の苦渋の決断があったことを忘れてはなりません。宇都宮さんはヤミ金問題やオーム真理教問題などに関わってこられた元日本弁護士連合会会長で、年越し派遣村名誉村長をなさっている中で、格差と貧困をなくす必要を痛感され、201211月の都知事選挙に敢然と立候補された方です。さらに猪瀬元知事の突然の辞退による20141月の都知事選に立候補され、いずれも次点を取ったという実績もある方です。最初の都知事選以後、1回も欠かさず東京都議会を傍聴され、次回の選挙を目指して政策面も含めて万全の準備をしてこられ、この突然の都知事選挙でも、既にポスターや選挙チラシも準備されておられたそうです。
 その宇都宮さんが「野党共闘と市民運動の発展」のために立候補を辞退されたのです。その決断を無にしてはなりません。何としても「統一して推す」ことになった鳥越俊太郎知事候補を勝たせなければなりません。
 そもそもこの都知事選挙は、舛添前知事が政治とカネの問題で都民の批判を受けて辞任したために行われる選挙です。舛添前知事はファーストクラスでの外遊とか、毎週末の公用車での湯河原の別荘通いなどで、都民の批判を受けていましたが、肝心の「政治とカネ」の問題については、全く真相を語らないままでやめてしまいました。しかも、給料は全額返上するなどと言っていましたが、退職金を2200万円、夏のボーナスを381万円を貰うのだそうです。本当に腹が立ちます。
しかし、その舛添氏を都知事にしたのは一体誰ですか。自民党・公明党ではないですか。舛添前知事だけではありません。同じく真相を明らかにしないままに政治とカネでやめた猪瀬前々知事、さらに豪華な大名旅行をして批判されたうえに、銀行設立で都民に大損を与えたその前の石原知事も、すべて自民党・公明党が「製造」した知事です。その自民党・公明党が臆面もなく新しい候補者を立てて、都政を牛耳ろうとしているのです。絶対に、自民党・公明党が推す候補と、その亜流の候補には負けるわけにはいきません。必ず鳥越俊太郎さんを都知事に押し上げようではありませんか。
若い方はご存じないと思いますが、1960年代後半から1970年代前半にかけて、日本の各地で、社会党、共産党など革新政党に押されて反公害、福祉強化、憲法擁護などを掲げた革新首長が誕生しました。その先鞭をつけたのが、1950年から1978年までの7期28年京都府知事を務めた蜷川虎三さんですが、その次が美濃部亮吉さんで、1967年から1979年までの3期12年務めました。美濃部さんは「東京に青空を」のキャッチフレーズで公害反対を掲げ、アメリカの排ガス規制、マスキー法を上回る公害規制を行うとか、老人の医療や都営バスの無料化を実施しました。大阪府知事を1971年から1979年までの2期8年務めたのは黒田了一さんですが、その出馬は劇的でした。このとき、社共共闘がなかなかまとまらず、しかも候補者がなかなか決まらず、正式な出馬表明は告示日11日前までずれこみましだ。もともと黒田さんは候補者選定をおこなう立場にあったのですが、意中の人が相次いで固辞されたので、立候補に踏み切ったものです。出馬の記者会見で、「このまま出馬を拒むなら革新諸勢力の統一の機運は一気にくずれ、大阪の公害は深刻化し、世界の諸都市に先がけ大阪がゴーストタウンになる」と述べて、社共統一を守りました。
なぜ、私が鳥越俊太郎都知事候補の政策を述べず、こんな昔の話を持ち出したのか。それはこれらの知事の誕生は、勿論、京都府民、東京都民、大阪府民の奮闘があったからですが、全国からの支援があったからです。それぞれの選挙区の友人・知人に向けて電話や手紙で、蜷川さん、美濃部さん、黒田さんの支持を訴えたのです。それだけではありません。京都、東京、大阪の人までが、全国の知人・友人に、蜷川さん、美濃部さん、黒田さんの支持を訴えてほしいと頼んだのです。まさに全国が一つになって革新統一の知事を誕生させたのです。

この故事に習って、全国が一丸になって、4野党と市民連合が推している鳥越俊太郎都知事候補を応援し、必ず勝利させましょう。そして、立憲主義、民主主義を守り、憲法改悪の火種を完全に消す動きをつくろうではありませんか。   

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