2016年7月30日土曜日

都知事選あらかると(730日)-17
選挙戦も最終日。
夜12時まではネット配信も、投票呼びかけも自由にできる。官僚エリートや、タカ派・日本会議の改憲派政治家を知事にしてはならない。「戦争はいやだ」の声を鳥越に。もう一回り訴えよう! 東京から日本を変える。ぜひ、その声を一票に!
29日の鳥越必勝女性デー写真フェイスブックより)
▼永さんと巨泉さん
 いよいよ選挙戦も最終日。そこで伝えたいのは、この日を前に亡くなった永六輔さんと大橋巨泉さんのことだ。永さんは参院選のさなかの7日、83歳で、巨泉さんは都知事選が始まったばかりの12日、82歳だった。
 戦後のテレビを作り、日本の新しい文化を育てたマルチタレント。2人とも個性的で、仕事のカラーも違っているが、同時に、ともに戦争を心底から嫌い、日本を憂い、生活者目線で問題をとらえる「ジャーナリスト」でもあった。時代を捉える感覚と、権力におもねらず、問題をまっすぐにみて主張する精神は、鳥越俊太郎に相通ずる。もう少し若く、健康だったら、きっと選挙戦に駆け付けてくれたはずだ。
 巨泉さんは2001年、自民党が圧勝した第19回参院選に民主党から出馬、民主党のトップで当選した。だが2ヶ月後、米国の同時多発テロ「9・11」。テロを非難する国会決議の「アメリカを支持する」との文言に、民主党でただ1人反対。インド洋への自衛隊派遣にも反対。「民主党は自民党化するな」と信念に従って、参院議員を6か月で辞職した。
 その後、がんを患った巨泉さんは、集中治療室からも発言した。6月27日発売の「週刊現代」7月9日号のコラム「最後の遺言」は、次のように書いていた。
 「このままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです。」
 鳥越さんとともに「マスコミ九条の会」呼びかけ人でもあった巨泉さんには、憲法を無視して戦争する国に向かおうとする安倍政権が許せなかった。
  永六輔さんも「反骨」の人だった。「日曜娯楽版」から、安保を経て、「夢であいましょう」まで、ラジオとテレビの一時代を作った永さんは、77年には革新自由連合の結成に参加、83年の参院選に出馬して落選した。軽妙な語り口で親しまれたが、舌鋒は鋭く、友人の青島幸男東京都知事を「公約破り」と批判したり、「教育基本法改悪・共謀罪・憲法改悪反対」集会では、「君が代」を「星条旗よ永遠なれ」のメロディーで歌った。
 2人に共通するのは、「戦争は絶対阻止しなければならない」という思いと「生活者として、権力におもねらず、歯に衣着せずものをいわなければならない」という強い信念だ。ずっと断っていた鳥越さんが、あえて立った決意には、巨泉と永さんの「遺志」がある。
 選挙戦も最終日。夜12時まではネット配信も、投票呼びかけも自由にできる。官僚エリートや、タカ派・日本会議の改憲派政治家を知事にしてはならない。「戦争はいやだ」の声を鳥越に。もう一回り訴えよう! 東京から日本を変える。ぜひ、その声を一票に!    

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