2011年12月24日土曜日

絆を深め 共同を広げて 希望の年に

                                                                 岩佐 ねなしかづら 

三月のこと

生活上の不安なく、もてなしシャワーでみんな良い顔

~ 山谷ホスピス施設「きぼうのいえ」山本雅基さんに聞く ~
3・11という未曾有の東日本大震災を経験し、東京革新懇「人間講座」(20夜)では昨年7月、山田洋次監督を招き、「『寅さん』から『おとうと』へ、人間の絆」をテーマにした講演会を開きました。  
その映画『おとうと』で鶴瓶が演じる弟を看取る家のモデルになった、山谷にあるホスピスケア施設「きぼうのいえ」を訪問し、理事長の山本雅基さんにインタビューしました。
「きぼうのいえ」は、身寄りがなく、末期がんなど余命にかぎりのある人のための「ホスピス」で、生活保護費をもとにしていますが、経営は赤字。山本さんは、震災以降寄付が減少し運営が困難になっているが、「愛は無限」であり、限られたパイの奪い合いではなくて乗り切っていきたい、と述べました。
著書「山谷でホスピスやっています」(実業之日本社)が参考になります。

運営の基本的方針は
施設ではなく「いえ」であり、入居者とスタッフによる「大きな家族」であると思っています。お酒もタバコも、近所のパチンコ屋も自由、消灯時間の決まりもなく自己決定権を尊重し、人間関係・絆を大切にして、人生の最終章を迎える場所です。
 どんな時に喜び、生きがいを感じますか
 「神も仏もあるものか」と言っていた人が、この「いえ」でみんな穏やかな良い顔になります。もてなしシャワーで変化するからです。
ドヤ(簡易宿泊所)で失禁して帳場さんから殴打の罰を受けた人が、ここでは、若いヘルパーさんからまっとうなケアを受けることができます。はじめは仰天し、いぶかしがりますが、プラスのストローク(歯車)が働き、そのうちに「ありがとう」と挨拶がでるようになり、人間関係が円満になります。

人生も「終わりよければ、すべてよし」?
 人は、どこからでもやり直せる、生を全うする道が開かれている、早い、遅いがあってもと思います。
映画「おとうと」のモデルになった反響は
 寄付の申し出ではなく、「私も入りたい」という電話が多くありました。家族があり、裕福な人でも、寂寥感を持っている人が多いからではないでしょうか。

3・11を入居者の皆さんは、どのように受け止められたでしょうか
 テレビを観て泣いていました。負けた人生経験があるので心やさしく、敗者として同情するからでしょう。

行政・自治体に望むことは何ですか
 寝る場所、たべるもの、そのほか生きていくための最低限の環境改善が重要です。福祉活動には金を出すが、口を出さないで後押ししてもらいたい。福祉・介護も法律でがんじがらめ、しなやかでソフトな行政上の配慮をお願いしたい。(文責;編集部)

新年のメッセージ

 東京都狛江市長 矢野ゆたか
東日本大震災では、被災地の行政機能がストップする事態が生じ、その機能が再確立するまでは、住民は自らを守り、地域で助け合うことが求められました。また復興に向けては、行政任せではなく、自分たちのまちを取り戻す、あるいは新しいまちを作り出す努力が必要です。あらためて、行政の危機管理とともに、「住民力」が問われているように思います。
市長になって15年半、住み良い狛江づくりに努めてきましたが、私の終極の目標は「住民自治のまち」を築くことです。それには、行政や市民の意識改革と力量の蓄積が不可欠であり、長い年月の地道な積み重ねが求められます。そこへ着実に接近しようと、「…してあげる政治」から脱却したい、まちづくりでは、市民が一丸となれる共通の基盤をつくりたい、市民には市政に参画するとともに、役割に応じた責任を果たして欲しい、こんな思いでがんばってきました。
いざという時に備えるためにも、この方向をさらに前進させなければと決意を新たにしています。


つつましき みちのくの人哀しけれ 苦しきときもみづからを責む

新 千晶 新婦人都本部会長 
「日本は変はる」「変へねばならぬ」という若者の声 轟然とおこれ(長谷川櫂‐震災歌集)
  2011311、また特別の日が増えてしまった。時の流れは悲しみや辛さを薄めてくれるが忘れられない過去、忘れてはいけない過去があることを私たちは学んでいる。「今日がどんなにやるせなくても明日は今日より素晴らしい」(サザンオールスターズ)どんなことがあってもいのちこそ第一!被災地を忘れない!生きて生きて生き抜いてともに希望の未来をつくっていこう。

 (被災直後に生まれた赤ちゃんは希・のぞみと名づけられた)

“政治のあり方を変えたい”との世論が広がる

若林義春 日本共産党都委員長
三月十一日の大震災と原発事故以降“こんな政治でいいのか、政治のあり方を変えたい”という思いが国民の中に大きく広がっています。
昨年発足した野田民主党政権は、大震災と原発事故による被災者の願いを根本からふみにじるだけでなく、TPPでも、沖縄の米軍基地移転でも、消費税増税でも、これまでの自民党政権でさえできなかった大悪政を民自公の「オール与党」体制で強行を狙うなど、最悪の反国民的政権に転落しました。それだけに、民主党政権と自民党など、「二大政党」に対する国民的失望も大きくひろがっています。アメリカと財界言いなりの異常な政治を転換できる条件は、これまでにないものとなっています。まさに革新懇の出番の情勢です。
同時に、解散・総選挙が行われる可能性がつよまっているだけに、この歴史的政治戦で日本共産党の躍進で政治の流れの民主的転換の第一歩を築くために総力をあげて奮闘する決意です。ごいっしょにがんばりましょう。

非日常を日常に戻せ

           早乙女 勝元
平和は特別なものではない。
 ごくありふれた日常なのだと思う。その日常が非日常に一変したのが、3・11の原発による人災だった。「平和利用」「安全神話」に、多くの人たちが、まんまと乗せられた結果である。
 ところが、かつての侵略戦争も「東洋平和」のための「神国日本」で、それ行けどんどんとばかりに既成事実が先行し、戦争をどこでどのように収束させるかの国の方針は何もなかった。全国の諸都市が焦土となり、民間人六十万人余の生命が失われた。そして、その傷痕は多くの被災者の疼きとなり、戦禍は今も続いている。高裁での東京大空襲訴訟に注目するゆえんである。「過去の教訓を学ばぬ者は、再び同じ過ちをくり返す」は、まさに至言で、私たちはいつも社会的感覚と批判精神を欠いてはならない。次世代のためにも、一刻も早く、非日常を日常に取り戻さなければ・・・。
           (復興を願う気仙太鼓)

「人間」はどういう存在か

           三上 満
大震災・原発事故のもたらした災害は計り知れない。しかしその中で、私にとって確認できたひとつの事がある。
それは人間というものが持っているふたつの特性だ。ひとつは人間が、立ち向かい挑む存在であるということ。私が訪れた大槌町でも名産の荒巻鮭など水産加工の復活に、ゼロから挑んでいる人たちと交流できた。被災地にはそういう無数の挑みが広がっている。
もうひとつは、人間がほんらい利他的・共感的な存在であるということ。無数の人びとが心をゆさぶられ、いろいろな形で手をさしのべた。私もささやかだが帰宅困難者となったあの日、たくさんの好意を受けた。
誰しもがあじわった大震災後の“人間体験”は、競争や序列化や自己責任が、決して人間ほんらいのあり方ではないということをあざやかに示した。それは人間の明日を拓くことを使命としている、教育のあり方をも深く示唆していると思う。          
           (立ち上がった若いお母さんたち)

行動や模索をはじめた青年

         民青同盟東京都委員会 岩崎明日香
3.11東日本大震災と原発事故は、多くの若者にとって「自分も何かしたい」「このままの日本でいいのか」など、社会と生き方について根本から問うものとなっています。このかん、東京の民青同盟は、日本共産党と共同で宮城県石巻市に「東京・若者ボランティアセンター」を開設し、のべ650名以上の方と一緒に被災地支援にとりくんできました。そのうち70名以上の方がビラやポスターなどをつうじて申し込まれた方です。「被災地支援のためのサークルをたちあげ、ずっと被災地支援に行きたいと思っていたが受け入れ先が見つからず、偶然街頭でみかけたポスターに電話したらやっと行けることになった」という方が続々と参加してくださいました。「被災者本位の復興を妨げているものは何か」「被災地での非正規切りと自分の働き方が重なる」「原発ゼロの日本は可能か」など、行動や模索を始めた青年と広くつながり、今後の日本の針路をともに探求したいと思います。
                    (支援活動に励む若者)