2020年12月15日火曜日

 野党連合政権でポストコロナ社会を切り拓こう


神戸女学院大学教授

石川康宏

 

 コロナ危機は現代の人間社会のさまざまな弱点や課題を浮き彫りにしました。いずれも多くの人の命を左右する深刻な問題で、少しでも早くそれらを解決し、感染の広がりと関連した経済被害を食い止めていかねばなりません。その解決に向けた努力は「個人の尊厳」を守る点で、社会進歩を大きく加速させる可能性を含んでいます。加速なしに問題を解決することはできない、そういう分岐点にいま私たちは立っています。

自然とのバランス、軍事費より社会権、バブルの制御 

 エイズやエボラ出血熱などと同じように、今回の新型コロナウイルスの流行も、人間が無分別に野生動物界に入り込んだ結果だと言われています。温暖化による氷河や凍土の溶解がそこに封じ込められていたウイルスを解き放っているとの指摘もあります。資本主義の飽くなき利潤追求が、人間と自然の両方を破壊し、両者の健全な関係の再建が社会改革の重要課題になるとカール・マルクスは『資本論』で述べています。これ以上の環境破壊を防ぎ、野生動物界とのあいだに適切な関係をつくっていくことは、人類の生存にますます緊急の課題となっています。マルクスの議論については『経済』1月号でも述べましたので、関心のある方はご覧ください。

アメリカでのコロナ感染による死者の数は、すでに第2次世界大戦での死者である29万人にならんでいます。大量の核兵器をふくむ世界最強の軍事力もコロナウイルスの前には、なす術がありません。急ぎ求められているのは、人間1人1人の命に焦点をあてた社会権の拡充です。アメリカを筆頭に年203兆円もつかわれている世界の軍事費を、医療・福祉・教育などに振り向けることができれば、どれだけ多くの命を救うことができるでしょう。そのためにも世界は話し合いによって紛争を解決する知恵を深めていかねばなりません。戦争とその準備である軍事演習は、CO2の大量排出を含む地球環境破壊という面からも、許されてよいものではありません。

世界のどこかに感染症が生れれば、今日のグローバルな社会ではあっと言う間に世界中に広がります。世界の誰かが生き残るには、世界の誰もが生き残れる社会をつくっていく他ありません。途上国にはコロナ危機による財政破綻や債務危機が起こりつつありますが、国際協力と支援の強化が必要です。

 世界経済は戦後最悪の景気後退に直面していますが、その中で、IMFが繰り返し警告するように、マネーゲームが米欧日の株価を引き上げ、バブルを拡大させています。景気回復をめざす各国の金融緩和に便乗し、一部の大企業や富裕層がマネーゲームにのめり込んでいるのです。リーマンショックに象徴された2008年のバブル崩壊と経済危機は、直後の日本に年越し派遣村を生み出しました。実体経済の最悪の縮小にバブルのしわ寄せが重なれば、その影響ははかり知れません。短期資金の大量の流出入を規制し、マネーゲームを抑制する「倫理」の強化が必要です。

 大きな課題ばかりですが、世界の市民は短い間に多くを考え、事態の打開に知性を発揮していくでしょう。私たち日本の市民も役割を果たしていかねばなりません。 

大資本による「新自由主義の経済学」の活用 

 貧富の格差が命の格差に直結していることは、アメリカの黒人の死亡率が白人の2.5倍になっているという人種差別の実態とあわせて大問題になりました。社会保障の自己責任化や医療費抑制による医療の逼迫も重大問題です。コロナ不況への対策が市民のくらしや国内の消費を維持するものになっていないなど、新自由主義の諸政策が事態打開の障害物となっています。

著名な歴史人口学者のエマニュエル・ドッドは、コロナ感染の第一波で死者数が多かった「フランスで起きたことのかなりの部分は、この30年にわたる政策の帰結」と告発しました。哲学者のマルクス・ガブリエルは資本主義に「倫理」が求められていると指摘します。いずれも人のくらしを尊重する社会の必要を説いてのことで、日本の現実にもそのままあてはまる指摘です。より健全な資本主義への資本主義のバージョンアップが求められています。

 新自由主義の経済学の代表的な論者は、フリードリヒ・ハイエク(1899年~1992年)とミルトン・フリードマン(1912年~2006年)で、その主張が大国の政治に活用されるようになったのは、イギリスのサッチャー政権(1979年から1990年)、アメリカのレーガン政権(1981年から1989年)の頃からでした。

 これらの政権の主張は、①大資本や富裕層のますますの富裕化こそが、社会全体を豊かにするというトリクルダウン(おこぼれ経済)論、②特に金融や労働の分野で大資本による利潤追求の自由を拡大しようとする規制緩和・市場原理主義、③貨幣の供給量の増大が景気を上昇させるとするマネタリズム(貨幣数量説)、④貧富の格差に対する労働者・市民の不満をあらかじめ封じるための自己責任論や機会の平等論(結果の平等論でなく)などとなっています。

 こうした主張がこの時期に経済政策の前面に出てきたのに、物的な根拠がありました。

 出発点は、1960年代の世界的な高度経済成長により、アメリカの大資本を筆頭に貨幣資本の莫大な過剰が生れたことです。これがマネーゲームの拡大に向けた「金融の自由化」を進める衝動を生み、製造業の多国籍企業も自由に活動できる条件整備を世界各国に求めました。しかし、実現にはこれを正当化する論立てが必要です。その求めに合致するものとして大資本が採用したのが新自由主義の経済学でした。何らかの学問的優位にもとづくことではなく、時の大資本にとって使い勝手のよい内容だったからにすぎません。 

マネーゲームの自由と労働者保護の後退 

 論壇への「新自由主義」の登場は、これよりずいぶん前のことです。1938年のリップマン討論会や1947年のモンペルラン討論会にまで遡ります。彼らは「自由主義の危機」を叫びましたが、それは1929年の世界大恐慌以後に、アメリカのルーズベルト政権(1933年から1945年)が押し進めた一連のニューディール政策やその発展を前にしてのことでした。

ルーズベルト政権は、アメリカの労働者の4人に1人が失業するかつてない大恐慌(経済危機)を招いた投機の熱狂を繰り返さないために、銀行と証券の兼務を禁ずるグラス・スティーガル法(1933年)を成立させました。そしてテネシー川流域開発などでの大型公共事業と雇用の拡大、全国産業復興法(1933年)やワグナー法(1935年)による労働者の団結権、団体交渉権の承認、最低賃金制の制定、社会保障法(1935年)による失業保険、退職金、年金制度の創設などを進めました。

この資本主義の新しい発展に対し、個人の自由は価格メカニズムにもとづく市場が機能する市場経済なしに成り立たないと主張したのが「新自由主義」のとりわけ英米グループでした。国家が資本の活動を制限するのはけしからん、労働組合が経済に口を出すこと、ましてや労働者を保護する立法などあってはならないということです。しかし、それは市民多数の声にはなりませんでした。

転換が訪れたのは、福祉の一定の拡充をともないながら実現した戦後の高度経済成長が終わった時期です。1970年代のスタグフレーション(物価上昇と景気後退の併存)をきっかけに、大資本がそれまでの「ケインズ主義」政策(必ずしもケインズの学説にそってはいません)を批判し、新自由主義にもとづく資本主義の改変を叫び出したのです。そして1980年前後に先の諸政権が実現します。

その後、1989年からのソ連・東欧崩壊は、共産主義は死んだ=計画経済は死んだ、自由主義万歳=自由主義経済万歳というすり替えで、新自由主義を一段と強力に推進するきっかけとされました。アメリカ大資本の最大の標的は、ルーズベルト政権がもたらしたマネーゲームへの規制の撤廃と労働者保護立法の縮小でした。銀行と証券の兼務を禁じたグラス・スティーガル法は、グラム・リーチ・プライリー法(1999年)によって最終的に撤廃されます。日本では金融ビッグバンの名前で実施されました。非正規雇用が拡大させられ、1%と99%の貧富の格差が広がります。2008年のリーマンショックは、金融経済の領域の混乱(サブプライムローンの暴落)が実体経済を大混乱に陥れるという恐慌の新しい様相さえ生み出しました。今日のバブルの膨張はこうした改革の末に起こっています。 

「個人の尊厳」守る政権を 

「構造改革」やアベノミクスの名でアメリカを手本とし、アメリカに従属した新自由主義的改革を行なった日本は、わずかな人々の富裕化と引き換えに社会そのものを衰退させました。国連が発表する最新の幸福度ランキングで日本は世界で62位(過去最低)、世界経済フォーラムが発表するジェンダーギャップ指数では121位(過去最低)、IMFが発表する1人あたりGDPで第26位(2000年には2位だった)と、明らかに衰退途上の社会となっています。

2020年12月8日の「追加経済対策」でも、菅内閣はGo To トラベルを2021年6月まで延長しながら、医療体制の強化、PCR検査の拡充、市民生活の直接支援にはまるで予算を振り向けません。根底にあるのは大資本の利益最優先、それによる政治屋・利権屋としての自身の儲けの最優先、その裏返しとしての「自己責任」の名での「個人の尊厳」の敵視です。もはや政権交代なしに、安心して生きることはできません。これについては、冨田宏治・上脇博之・石川康宏『いまこそ、野党連合政権を!』(日本機関紙出版センター、2020年)をご覧ください。

ポストコロナ社会は時がたてば自然にやってくるものではありません。コロナと効果的にたたかえる社会をめざす努力の先に、初めて見えてくるものです。その核心は、憲法を活かし、新自由主義の政治を転換する野党連合政権の樹立でしょう。大志を抱いて奮闘しましょう。

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