2021年11月1日月曜日

 ジェンダー平等と日本国憲法

日本初のセクシャル・ハラスメント裁判の被害者代理人

医学部入試における女性差別対策弁護団共同代表

元明治大学法科大学院教授

元法務省法制審議会刑事部会委員

安保法制違憲訴訟共同代表          

     弁護士 角田由紀子
7月に行われた「戦争いやだ!足立憲法学習会」の角田由紀子さんの講演の要旨をご紹介します。

1 ジェンダーという言葉への違和感

耳慣れない言葉ですから、ジェンダーて何というところから話を始めます。この言葉が欧米で流通し始めたのが70年代。外来語でもリンゴというとアップルなど物が具体的にあればわかる。ジェンダーは、概念を示す言葉で、分かりにくいし、日本にそもそもジェンダー概念がない。

なんでジェンダーという言葉が使われるようになったか、もともと性別のことでは、英語ではセックスという言葉が使われていた。セックスは生物学的なものであるし、客観的なものであり物事を固定化する話になってくる。例えば、あなたは女、女なのだから勉強する必要ないとか、生物学的なことから出発して勉強する必要がないという社会的・文化的な話にまで引っ張られてくる。しかし、段々性差などについて研究していくうちに今までの認識は違うのではないかということが分かってきて、セックスじゃまずいとなり、ジェンダーという言葉を選んだのです。フランス語やドイツ語には、名詞に女性とか男性とか性があります。その文法的な意味の性をさすのにジェンダーという言葉を使っていたので、それを借りてきて、日常的に使われるようになってきたのです。

まず、人間は男100%、女100%で黒白はっきり分かれるものではないのだとわかってくるわけです。セックスという言葉だけで性差とか性別のことを言うのは実態を表せないということで、ジェンダーという言葉を使おうということになったわけです。

日本では、ジェンダーとか、セクシュアル・ハラスメントを、カタカナで受け入れている。概念の説明なので学者によっても説明の仕方が違う。ですから最大公約数的なところで文化的社会的性差、女らしさだとか男らしさだとか、そういう事だと理解するしかないのです。

ジェンダー平等と言う時、男女平等の事を言っている人が非常に多いですね。しかし、男女平等とはイコールではない。男女平等という言葉には、ネガティブな手垢が付いていて、狭くなっています。男性・女性それぞれ100%ピュアな人がいるみたいに思っちゃう所があります。男女平等だけでやっているとLGBTの問題が落ちてくる。それはジェンダーという言葉と共に獲得されてきた概念ということでもあるからです。例えば私は「刑法をジェンダー視点で検証する」と書いたりします。刑法の抱える問題点、多くは性暴力犯罪に関するものですけども、今まで無視されてきた被害者の視点、女性の視点で、検証をするということです。

 2 「ジェンダー平等とは」を裏から(ジェンダー不平等の実態)から考える

ジェンダー平等、男女平等も実は見たことないのです。しかし、ジェンダー不平等と思う出来事はたくさんあると思います。裏から見ていく方が分かりやすいということで、ジェンダー不平等を考えます。

皆さんも馴染んだジェンダー・ギャップ指数、GGIは世界経済フォーラムによる調査。社会がどれだけ男性優位かを評価して順位をつける。1位はアイスランドで男性優位度が凄く低い。日本の120位は男性優位度がすごく高い。世界経済フォーラムは、基本的に政治や経済のことをやっているがどうしてジェンダー平等を扱うのか。社会のジェンダー・ギャップを放っておくと経済発展しないことがわかっているので、調べている。

GGIの調査項目は、政治、経済、教育、健康。日本は政治で147位、2年連続ワーストテン入り。経済が117位、教育が92位、健康が65位。日本は156ヶ国中120位で、先進国で最低。119位はアンゴラ、121位はシエラレオネ。アフリカの小さな国です。政治は、まず国会議員に占める女性の割合を見ます。下院だけで比較。女性議員比率は9.9%1946年の最初の選挙での女性議員比率は8.4%。ほとんど進んでない。経済も、労働力率の男女比とか同種業務での給与格差、推定勤労所得の男女比、管理的職業従事者の男女比、専門・技術職の男女比、こういう項目で見ていき、117位。教育は、識字率と初等教育の在学率は1位ですが、中等教育在学率の格差129位。高等教育在学率の格差110位。日本の教育は全体としては92位だが、高等教育の男女格差の問題は、その後にある政治や経済に女性がどう関わるかに影響する。女に教育は要らないとか、女性の高学歴は女性らしさを損なう、今でも言うのではないですか。女らしさを損なうっていうのは男女の間に格差があって、男が上、女が下というこの序列を崩すということです。

GGIはすごく大事な役に立つ指数ですが、女性に対する暴力の問題などは入っていない。女性に対する暴力は、他人の支配を可能にする社会的、経済的、文化的、政治的条件、つまりジェンダー不平等が支配・被支配関係が作り出すのです。

まず、刑法の性犯罪です。刑法は1907年、明治40年にできたものです。その後に日本の敗戦、憲法も新しくなった。でも、刑法の解釈は影響を全然受けなかった。刑法の性犯罪規定は被害者の意思には関心がなく、男性加害者の視点からすべてを見て決めてきたという歴史があります。

日本学術会議の刑法性暴力犯罪改正への提言は、同意の有無を刑法性犯罪規定の中核にという提言です。ホームページで読め、非常にいい資料です。日本の状況は国際基準に大きく遅れているというのが、提言の結論です。

日本の刑法は暴行、脅迫だけを問題にしそれ以外のものについては犯罪の成立要件にしていない。法務省での性犯罪に関する刑事法検討会は今年16回開催され、被害者が同意してないことを犯罪の成立要件にすべきだと女性を中心に市民から要求された。しかし、結論には至らず先送り。

625日にILOのセクハラ禁止条約が発効。しかし、日本はこの条約に入れない。条約に入るには、国内法でハラスメントを罰則付きで禁止する法律を作るという条件があるからです。

DV防止法ができて20年になるが問題だらけ。条件によっては家に居る夫に2ヶ月だけ家から出て行けと言えるわけですが2ヶ月過ぎたら戻ってきていい。法律の基本的な考え方が、加害者を罰し被害者を保護するのではなく、被害者に全部捨てて逃げろというところにあることです。

もう一つ大事なことは、リプロダクティブ・ライツ及びヘルスという、女性の身体が男性に法律によって所有されている問題。一つは刑法にある堕胎罪の問題。今はほとんど発動されませんが、自分で中絶しても医者が行っても犯罪。母体保護法で一定の要件があった場合には人工妊娠中絶ができるとなっています。ただ胎児の父の同意が要る。結局中絶が出来るかどうかは相手の男性の意思に100%かかっている。これでは女性の身体が男性に支配され、所有されているのと同じです。

2番目に、日本で認められている中絶法は掻把。こんなことをやっている先進国はない。80年代から外国では内服薬が使われています。費用も日本に比べ安い。日本では保険は効かず高額。女性は肉体的にも精神的にも非常に傷を負う。WHOも経口中絶薬は妥当な方法だと薦めています。安全な中絶へのアクセスは女性の健康の権利の問題です。

女性の身体をどうするかを決めるのに、なぜ男の人が法的な最終発言権を持つのか。制度にも人々の意識の中にも家父長制時代の思想が残っており、ジェンダー平等実現の大きな妨げになっています。

 3 政治分野におけるジェンダー不平等―ジェンダー平等と民主主義

問題はどれも最終的には国会で決着をつける政治問題。多くの女性議員を国会に送る必要がある。「女性のいない民主主義」という岩波新書、前田健太郎という若い東大の政治学者が書いた本。彼は男が政治に関して力を一手に握るのは日本でしか見られない、醜悪な構造と書いています。私たちは醜悪な風景の中でずっと生きているから、「政治っていうのはそういうものなんだね」とやり過ごして来ているのです。

この間の都議選、那覇市議選で女性議員が30%超えた。少数者が1つの集団で影響を与える分岐点は30%。都議会あるいは那覇市議会に影響を及ぼしていく、大きな足掛かりができたという事です。

この歪んだ女性のいない民主主義は、女性が不幸になるだけじゃなく、男性も幸せではない。ジェンダー規範は常に男女対になっている。性別役割分業の社会で、分かりやすいのが男は仕事、女は家庭。別々の役割が与えられているだけではなく、女性を男性の下に位置付ける為に分ける。戦前の中等教育で、別学で、女学校と中学校。女学校の方が中学校よりは圧倒的にレベルが低かった。

今だったら男の仕事は大抵は有償でお金が支払われる。女の人の仕事は無償労働が当たり前みたいになっている。女性に対しては内助の功としてただ働きを称揚する。ケア労働は女が本来タダでやっているから、外でもたくさん払う必要はない。これはまさに男性支配の家父長制の構造。

 4ジェンダー不平等をどう是正するか―憲法こそが導きの星

ジェンダー平等を作る1番の基本は憲法前文と9条だと思っています。ジェンダー平等を言うのであれば、戦争がないということが第一条件。戦争で女、子どもが真っ先に徹底的に犠牲になってきたのは万国共通の歴史的な事実。ジェンダー平等というのは男女だけでなく、個々の人がその人らしく生きていけるための平等の事であり、戦争はそれを真っ向から否定します。

第二十四条

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

最後に憲法24条をどう活かすかという大きな課題です。24条は確かに、法的に家制度を廃止して婚姻のあり方を変えた。しかし、対等な夫婦関係を24条を基準に考えたらDVなんて起こらないはずです。逆に夫婦の間で暴力的な支配関係が成り立っているということは、24条が及んでいないと言うことになる。憲法24条は弁護士だって頻繁に仕事に引っ張り出す条文ではない。だから私も忘れていたんです。どうして24条が私の中で復活したかというと、DV事件をたくさん扱うようになってからです。暴力的な支配関係のない夫婦って何?と思った時に、24条が言ってるのはそのことだったんじゃないかって思ったわけです。公的な暴力の禁止は前文と9条が謳っています。私的な暴力の禁止に24条は大きく関係しているのです。つまり婚姻のジェンダー平等化です。24条が求めている人間こそがジェンダー平等の担い手だろうと考えています。それが平和の担い手になってくる。24条は直接には夫婦の関係を書いていますが、家族構成員が互いに対等であり平等である、こういう関係こそが必要だと24条は言っている。対等・平等ですから、それぞれが独立し、誰かが誰かに服従するのではなく、養ってもらっているからと子どもが親に服従するわけじゃない。そういう人間関係と人間を24条が求めるものですし、24条が求める人間を育てなければ私たちは平和を作れないし、ジェンダー平等も作れないと思います。

24条が求める人間は独立した個人です。自分の頭で考えて、行動する人、そういう人が本当に必要だと思います。自分の考えがあるから付和雷同しない人、上からの命令にもなびかない人が必要です。戦前戦中なぜ日本があんな悲惨な状態になったか。もちろん軍、政府、教育の責任もありますが、戦時中には自発的に突き進んだ人がいっぱいいた。そうしない為にどうするかを24条が私たちに問いかけていると思うんです。そこが出来なければ、平和運動とか、いろんなところもうまくいかないと思います。

24条の本質的平等とは何か」ですが、「個人の尊厳と本質的平等」と言われています。それが日本の国で法律を作る時に、1番基本になるべきだということが2項に書いてある。大前提です。直接的には民法の家族に関する法律についてと書かれていますが、それ以外の法律も個人の尊厳と両性の本質的平等に基づくものをつくっていく、それこそがジェンダー平等の基礎をつくることになっていくと私は思っています。

 

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