ビキニ事件の真相を広げて、
核兵器・原発のない世界を
第五福龍丸被爆者 大石又七さん
核兵器・原発のない世界を
第五福龍丸被爆者 大石又七さん
大田区では、「大田からの原発ゼロアピール-人類と共存できない原発を一日も早くなくし、自然エネルギーへの転換を」(全文はこちらに)の賛同運動が前進しています。呼びかけ人には、桂敬一(元東大教授)、小林研二(元蒲田歯科医師会会長)、佐藤大助(元大田区議会議長)、嶋田実(大田老人クラブ連合会会長)、吉原毅(城南信用金庫理事長)など、幅広い人たちが名前を連ねています。
その中に、第五福龍丸被爆者である大石又七さんも入っています。そこで4月10日、大石又七さんを自宅に伺い、お話を伺いました。
《アッピールに賛同された動機は》
1954年3月1日、太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で米軍が広島型原爆の1000倍という巨大な水爆事件を行い1000隻に及ぶ日本の漁船が被爆しました。漁業関係に膨大な被害額が出ました。しかし、米政府はわずかな見舞金を払い、被災者たちの頭越しに事件発覚後わずか9カ月で、日米政府と政治決着を結びました。
重要な内部被爆や放射能の恐ろしさも隠して、漁師たちが発病しても亡くなっても一切の治療も補償もしていません。私たち第五福竜丸の乗組員もガンなどで半数が亡くなり、私も肝臓ガン、最初の子どもは死産で奇形児でした。
半世紀以上も過ぎた今、3・11福島原発事故で、隠された放射能が牙をむいて襲いかかっています。放射能の本当の恐ろしさを知ってほしいと思ったからです。
《「ビキニ事件の真相」は》
日本の原子力発電とビキニ事件は、大きな関わりを持っています。
当時、外務省の「ツチヤ」氏は、爆発的に起こった核実験反対運動の扱いと膨大な賠償金を見舞金で済ませる方法を、アメリカ大使に教えています。日本政府は、国際法に違反している太平洋での核実験を容認し、国連において賛成で協力するとまで国会で発言し、その見返りに水面下で原子力技術と原子炉、ウランを早急に供与してほしいと取引しています。その先頭に立って動いていたのが財界では読売新聞社主の正力松太郎氏、政界ではビキニ事件の2日後に国会で原子力予算を通過させた中曽根康弘氏たちです。地震大国である日本の原子力政策が政府主導で始まり、茨城県東海村に原子炉が導入されてきました。私たち被爆者や被災者は原発導入の人柱にされたといっても過言ではないと思います
放射能は何十年何百年たっても消えません。いまや狭い日本列島は、放射能の国と化してきています。この責任はだれが取るのか、指導者たちは早く気が付くべきです。
《福島原発事故に直面して》
放射能は目に見えません。内部被爆も表から見ることはできません。病状が10人十色で治療法も始まったばかり、長い年月を経ていろいろな形になって現われてくるのが内部被爆の特徴です。非人情と思われるかもしれませんが、放射能は妥協しません。強い放射能にさらされている福島の人たちが心配です。海にも大量の放射能が放出され続けており、これからです。(文責;編集部)(上は、自宅でインタビューにこたえる大石さん。右は第五福竜丸。都立第五福竜丸展示館公式ホームページより)
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