また一人、ジャーナリストでありながら、革新陣営の論客が2月24日、この世を去っていってしまった。社会党・総評ブロックで育ち、60年代には社青同委員長、70年代には大田協会(大田薫氏率いる学校)の機関誌『社会主義』の編集長を務めた立山学さん(写真)、そうした立山さんが全労連の地域組織である新宿区労連の顧問を長年にわたって引き受けてくれ、情勢の捉え方や運動の戦略について、貴重なアドバイスをしてくれた。
当時、社会党の活動家たちからは新宿区労連に肩入れすることで「おかしいじゃないか」とよく言われたということであったが、立山さんは60年代・70年代の社共共闘の時代と違い、80年代に入ると第2臨調行革、国鉄分割民営化攻撃によって、総評が解散に追い込まれ労使協調の「連合」が労働界の支配権を体制のバックアップで握り、社会党系の左派の活動家も含めて大方が、革新の立場を放棄し、革新統一に背をむけ、保守との野合に走ってしまっていたことから、自分としてはこれ以上つき合わなければならない義理も、筋合いもない、ということで「活動家の良心に従ったまでだ」と語っていた。東京革新懇の代表世話人も引き受け、「公共交通を考える」講演会(2005年6月10日)では、「相次ぐJR事故の共通点は、『稼げ、急げ、隠せ』の企業体質だ」と指摘、「命と安全を守る一大国民運動を呼びかけた。
そして、「変革の力は民衆の運動と闘争の中にしかない」と固く信じ、常に民衆の立場からどんな困難も恐れず問題を提起しつづけてきた。その信念は、今日の閉塞感に覆われた社会を打破していく上で、私たちが受け継いでいかなければならない。
立山 学さん(東京革新懇代表世話人)
2011年2月24日、口くうガンのため逝去。
1935年 熊本県生まれ。59年 九州大学経済学部卒業。60年 安保闘争の中、雑誌『社会主義』の編集者として着任。61年 三池闘争支援のため「三池を守る会」を組織化。81年 労働戦線の「右翼的」再編に反対し、労働運動研究センタ―で活動。86年「国鉄の分割民営化反対東京会議」結成で幹事に。1990年代~2000年代 国鉄の分割民営化問題の追及継続と同時に、日本育英会労組などと連携しつつ独立行政法人の民営化にはらむ利権問題を暴露。『JRの光と影』(岩波新書)など著書多数。
立山学さんは私の九大時代2学年先輩の方で、60年代をLSYでご一緒に駆け抜けました。合掌。
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