安倍政権の終わりから、新しい政治へ
政治学者 明治学院大学国際平和研究所研究員木下ちがや
安倍政権が終わり、新立憲民主党が誕生しました。これは民主党への逆戻りではなく、重要なのは、反共主義、新自由主義と決別したことです。この間、労働政治学者であり革新懇の世話人をされていた故清水慎三さんに思いをはせ、著作を何度も読み返し、清水さんならどう判断するかを考えながら情勢をみていました。革新懇は、統一戦線を追求し、1980年代、90年代、2000年代、2010年代、2020年は第5期です。野党共闘でこの流れがいま結実しつつあります。
なぜ菅総理なのか
なぜ菅総理なのか。菅さんは安倍政権の継承と言っています。私は昨年出版した本の中で、安倍はもう終わりに入っていると見ていました。政権は目標がなければ続かない。安倍さんは改憲、北方領土返還などを目標としていたがすべて失敗していました。改憲についていえば立憲民主党が野党第一党になったことでもう改憲は不可能になっていたのです。2018年に総裁選で3選しあと1期やることになりましたが、レームダック状態でした。じゃあ次は誰がやるのか。昨年春の改元のとき、やたら菅官房長官が目立ち、菅が総裁候補に浮上していました。内閣改造では菅さんの子分の菅原一秀、河井克行が入閣しました。ところが昨年末、立て続けにスキャンダルが発覚し、かれらは辞任に追い込まれます。これは自民党内部からのリークでした。麻生副総理が菅を絶対に総理にしないと動いたのです。近年の自民党の総理総裁は二世議員ばかりです。たたき上げはせいぜい幹事長止まり。麻生さんはプリンスの岸田を次期総理に据えたかった。かつて叩き上げの野中広務が総理総裁になりそうになったのを潰されたのは周知のとおりです。あくまで血統がいい人間でなければトップに立てないというのが自民党です。ですから、菅さんは一旦総理候補から滑り落ちました。今年初頭のコロナ対策は、菅さんは関与できず、今井補佐官らが対応していました。本来なら官房長官がやるべき仕事ですが干されたのです。
ところが5月に入ると検察庁法改正問題が浮上しました。黒川検事正を検事総長に就任させ、安倍政権のスキャンダルを封じ込める役割をやらせることがねらわれましたが、国民の反対世論が高まり法改正ができませんでした。しかも黒川さんは賭け麻雀報道で失脚。そして窮余の策として菅さんがふたたび後継として浮上したのです。安倍さんを守れるのは菅さんしかいないということです。ある意味、検察庁法改正を国民が阻止したことで、菅政権が生まれたという歴史の皮肉ともいえます。つまり菅政権の使命は、安倍政権の負の遺産を守ることにあるわけです。
究極の劣化を示した自民党総裁選
菅総理誕生の流れは電撃的でした。二階幹事長が何としても菅に継がせると動き、あっという間に他の派閥が追随しました。そもそも安倍政権が長期安定支配できたのは、二階幹事長が党内を支配し、菅官房長官が官僚組織を支配し、麻生副総理が財務省を押さえていたから。この鉄の三角支配があったから安倍政権を安定させることができた。この三角形の上に乗っていた安倍さんをのぞく政権ができあがったのです。自民党の今回の総裁選は派閥の復活ではありません。以前の派閥は大名みたいなもので、総裁を獲得するために競い合い、党内闘争も激しかった。今回は、二階さんが決めたら他派閥は抵抗できない。党内民主主義も完全に劣化しました。政党は生き物であり、新しい人材が引き継がないと衰退します。安倍政権は後継をつくらないことで安定してきたわけですが、こうして自民党は自己刷新能力を失ったのです。では、菅政権はどのようなものか。菅さんには党内基盤はなく、完全に二階幹事長に党を支配された政権になりました。安倍さんは理念的な政治家だった。だから保守派やネット右翼をひきつけることができました。しかし菅さんは憲法改正に関心が薄い、特に理念のない政治家です。菅さんは安倍政権というよりも、小泉政権の新自由主義を継承していくと思われます。安倍政権は、小泉政権の新自由主義が反貧困の運動をもたらし、民主党政権を誕生させたことをよく踏まえていました。だからそれを許さないために新自由主義色を極力出さないようにしていた。しかし菅政権は新自由主義に基軸に据えることになるでしょう。菅政権に安倍政権のような鉄壁の支配出来るとは思えません。菅と麻生の対立など、鉄の三角形の均衡は早晩崩れていくでしょう。こうした敵の支配の崩れに対して野党がどう対峙していくか問われるのです。
野党共闘の完成
去年、立憲民主党、国民民主党、社民党が野党共同会派をつくりました。立憲民主党、国民民主党、共産党、社民党の政調共同で議論しながら進めていく体制ができました。桜を見る会の問題では、共産党の資料を共有し、国会闘争の中でも共闘が発展した。今年に入り、立憲民主党、国民民主党、社民党の合同があと一歩のところまでいきましたが、玉木代表が翻意し、合意内容を潰して頓挫しました。しかし通常国会が終わり、再び合流しようとの動きになりました。ここで大事だったのは連合の動きです。6月に枝野代表が新自由主義批判を基調とした「命とくらしを守る政治」を発表しました。しかもそれをしんぶん赤旗が異例の紹介をした。さらに連合が、立憲民主党、国民民主党と会合し、「命とくらしを守っていく」との理念を打ちだしました。これは新自由主義批判を理念に据え、共産党、野党合同新党、連合がゆるやかに協働していくという流れができたということです。立憲、国民の合同については、福山幹事長と平野幹事長が両党の統一の方針を練り上げ合意したが、最終局面で玉木が突然分党を宣言しました。この背景に何があったのか。それを明らかにしたのが産経新聞社の月刊誌「正論」に掲載された岡崎敏弘国民民主党参議院事務部長の論文でした。民社党職員出身の岡崎氏は、参議院民主党事務局長として、参議院民主党に強い影響力を行使してきました。岡崎氏らは、両党が合流したら居場所がなくなることを恐れ、玉木代表に分党を仕掛けさせたのです。岡崎氏は、反共で党を支配してきました。岡崎氏と玉木代表は分党することで強引に粘れば、結局連合は妥協するとタカをくくっていたと思われます。しかし連合は屈しませんでした。結局、連合は一枚岩で新立憲民主党を支持する姿勢を貫きました。反共と新自由主義からの脱却がついになされようとしているのです。
都知事選が野党の命運を決めた
こうした野党共闘の流れを決定づけたのは都知事選でした。山本太郎は「空中戦」の有名人票で60万ぐらいは取ります。しかし宇都宮候補の得票とは中身が違います。昨年、共産党系候補を野党共同で擁立した高知県知事選と同じく、都知事選は左派系の宇都宮候補でも全野党が全力を尽くして応援しました。同時におこなわれた都議補選でも、統一候補を擁立しどんどん共同の輪が広がりました。都知事選は得票以上に大きな遺産をもたらしたのです。
他方れいわ新撰組は、都知事選でボロボロになりました。れいわを支持している人の大半は野党共闘を望んでいる。だから山本太郎が出馬したことに怒りました。都知事選に出馬し、孤立を深めたからです。
こうしてついに、総選挙にむけて「自公対民共」の一対一の関係ができあがりつつあります。この「一対一」の国民にわかりやすい構図が示されることで、投票率が確実にあがります。しかも新自由主義対反新自由主義という争点も明確です。かくして、野党共闘ははじめての本格的な共闘による総選挙に臨むことになるのです。
新しい価値観が問われる総選挙
今度の総選挙は史上初の野党共闘選挙です。「命とくらしを守る」との明確な争点もあります。2015年の戦争法とのたたかいで出来た野党共闘は、「立憲主義を守れ」が一致点でした。しかしいま思い出すべきは、2008年の年越し派遣村の運動です。あの運動では命と暮らしの問題で、連合、全労連、全労協、そして共産党も民主党も一緒に共同しました。実は15年の野党共闘以前から、共闘の萌芽はめばえていたのです。その原点に回帰する必要があります。今回市民連合の立憲野党への要望書が出されましたが、ここでも命と暮らしを守る政治が共通政策として出されています。これまでの野党共闘は数あわせでしたが、これからは理念を共有し、結集し、勝利していくのです。今年暮れに向けてコロナ禍による困難がいっそう広がる気配があります。このような状況下で菅政権の新自由主義的論調が国民に受け入れられるとは思えません。菅政権は自己責任、規制緩和を打ち出し、野党の新自由主義批判と対決点は鮮明です。野党の「命とくらしを守る」たたかいの発展は、社会主義、社会民主主義の歴史と伝統に根ざし、未来を創造していくたたかいです。11月に大統領選挙がおこなわれるアメリカでも同じ争点がたたかわれるでしょう。
革新懇は長年統一戦線をつくろうと努力を重ねてきましたが、ついにここまで来ました。2大ブロックの完成により投票率も上がります。次の総選挙で与野党伯仲に持ち込み、雰囲気を変えていきましょう。自民党しかみえていなかった国民に野党連合の姿を明らかにしましょう。事実この間、野党についてのメディアの報道は着実に増えてきています。100議席を超えると、メディアもライバルとして報じるようになるからです。
安倍政権の7年8ヶ月は時間かせぎでした。課題はがれきのように積み上がっています。そして新しい政治の構築は自民党にはできません。市民と野党の共闘で新しい政治を構築していきましょう。
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