2019年7月23日火曜日

大阪G20サミット後の世界経済
――米中貿易「戦争」の背景を探る――
                                   横浜国立大学名誉教授 萩原伸次郎

はじめに
 大阪市で開かれた20カ国・地域首脳会議(G20サミット)は、629日、2日間の討議を終え、首脳宣言を採択して閉幕しました。20089月のリーマンショック時のG20首脳会議は、世界を100年に一度の危機から救出することに一役買いましたが、それに比較すると、今回の会議の結末は、内容の充実したものとはいえそうにありません。G20サミットで採択された大阪首脳宣言では、「世界経済は減速リスクがあり、貿易などの緊張は増大、さらなる行動を取る用意がある」とは言っていますが、トランプ大統領に配慮して、「反保護主義」の明記を見送りました。昨年から続く米中貿易「戦争」は、トランプ大統領と習近平国家主席との首脳会談で、米国による第四弾の対中制裁は、ひとまずペンディングとされ、貿易協議の再開で合意しましたが、解決のめどが立ったとは言えません。ここでは、昨年から深刻化した両国の貿易「戦争」の背景を探ってみることにしましょう。

なぜ、米中貿易「戦争」が注目されるのか
 世界の経済にとって、なぜ米中の経済対立が注目されるのでしょうか。それは言うまでもなく、現在、米国と中国は、世界一二を争う経済大国であるからです。こうした状況となるのに2008915日リーマンショックに始まる世界経済危機の果たした役割は、はなはだ大きかったといえます。米国に始まる経済危機は、明らかに先進国経済を基軸とするグローバルな金融危機が原因でした。先進経済諸国が、危機の淵に沈んでいくのに対して、新興経済諸国の危機からの立ち直りは早く、インド中国などの工業生産は、下落することもなく、上昇に転じていったのです。中国経済の国内総生産は、2016年において日本を抜いてその約1.4倍、世界第二位の位置を占めました。このまま続けば、米国を抜いて世界第一位になる日もそう遠くはないのです。
 中国経済が近年大きく成長し、米国の存在を脅かすのではないかという危惧は、すでにオバマ政権時からありました。2008年、世界経済危機の真っただ中に誕生したオバマ政権は、ブッシュ前政権が石油の利害から中東重視の政策をとったのに対して、対中国を基軸とする東アジア重視政策へと大きく舵を切りました。経済成長の中心は東アジアにあり、米国の政治・軍事路線も東アジア重視でなければならないというのがその理由です。これをリバランス戦略と言いましたが、その戦略をとった背景には、中国をドル圏につなぎ留め、習近平・李克強政権の、外需から内需政策への転換政策を米国の対中輸出の飛躍的な拡大に結び付けたいということにあったといっていいでしょう。したがって、オバマ政権は、中国を基軸とする東アジア共同体形成路線を妨害し、アジア・太平洋12カ国で進められていたTPP協定路線を推し進め、米ドルを中心とするアジアにおける経済覇権維持を試みたのでした。
 それに対してトランプ大統領候補は、このオバマ政権の路線を完全に否定し、TPP協定離脱という選挙公約を前面に立て、ヒラリー・クリントンを打ち負かしました。とりわけ、ラストベルトといわれるかつて工業で栄えた地域の白人労働者の支持を得るには、TPP協定離脱は、その格好の選挙公約だったのです。と言いますのは、TPPはかつてクリントン政権が結んだNAFTAのアジア・太平洋版であり、NAFTAがアメリカ労働者の雇用を奪ったことは明確だったからです。
 トランプ大統領は、就任間もない2017123日、TPP離脱のための大統領令に署名し、米国はTPP交渉から離脱しました。このトランプ政権の行動は、トランプ大統領の政治手法を明確にあらわしたものと言っていいでしょう。つまり、ディール(取引)による「米国第一主義」の追求なのです。現在中国は、広大なユーラシア大陸とアフリカにターゲットを絞った一帯一路戦略を着々と実行しつつあります。この経済成長著しい中国をディールで抑え込もうとするのが、トランプ大統領の覇権戦略の基軸にあることは明らかです。

米中貿易「戦争」の経緯とトランプ大統領の対中ディール
 トランプ大統領の対中戦略は、「知的財産権侵害は許せない」とした、対中高関税報復措置をもって開始されました。まず第一弾が、201876日に発動され、中国からの輸入品340億ドル分に25%の追加関税を掛けるとしました。それに対して中国は、対抗措置を取り、米国からの輸入340億ドルに高関税を掛けるとしましたので、トランプ政権は、続いて823日に第二弾160億ドルを発動します。しかし中国は、同額の対米高関税措置をもって対抗します。
 こうした中国が対抗の姿勢を崩さないことに対して、トランプ政権はさらに、2018924日、中国からの輸入品2000億ドルに、年内は10%の関税を上乗せする第三弾の制裁措置に踏み切ります。7月と8月の第一弾、第二弾の製品は、企業間取引が多いハイテク製品などが中心でしたが、第三弾は、雑貨や衣類など一般消費財が多くをしめます。中国はそれに対抗し、600億ドルの米国製品への高関税措置を取りました。米国は、年内は10%の関税上乗せにとどめるが、20191月からは、第一弾、第二弾と同様に25%に引き上げると脅しを掛けます。そしてさらに、中国の対抗措置に対して、トランプ政権は、2670億ドルにものぼる第四弾を発動するとしたのです。これが発動されますと、中国からの輸入の全額に高関税がかかることになりますが、この第四弾は、当面延期されることとなりました。昨年121日に行われた米中首脳会談で、90日間の一時休戦となったからでした。ここで合意された米中首脳会談のポイントは、「米国は第三弾の関税率10%について、1月に予定していた25%への引き上げを当面見送る」「米中は、知的財産権の保護強化や、技術移転の強制、サイバー攻撃など5分野で協議を開始する」「90日間で妥結、合意できなければ、米国は第三弾の関税率を25%に引き上げる」「中国は、米国産の農産品や工業製品、エネルギーなどの購入を拡大する」というものでした。
 しかし、米国は、2019510日、米中閣僚協議が続く中、中国からの輸入品2000億ドル相当に課している追加関税を10%から25%に引きあげる第三弾強化策を発表し、さらにその月の15日、米通商代表部は、3000億ドル相当の中国からの輸入品に最大25%を課す品目の詳細を発表しました。この時発動は、6月末以降としましたが、それは、大阪G20サミットでの米中首脳会談をにらんでの発表といえるでしょう。これが発動されますと中国からのほぼすべての輸入品が対象となり、その対象は、スマートフォン、ノートパソコンなど約3800品目もあり、生活必需品が4割も占め、米国の消費者にも大きな影響が及ぶのです。

トランプ大統領の対中ディールはどうなるか
 今後トランプ政権の対中ディールは、どのように進むのでしょうか。トランプ政権の高関税措置について、アメリカ国民がもろ手を挙げて賛成しているわけではありません。第一弾、第二弾の措置に関して、20188月に米国議会に公聴会がもたれましたが、多くの企業から反対の声が聞かれました。いうまでもなく、米国企業は、中国からの輸入品によって国際的に効率的なサプライチェーンを形成しているからです。しかも、第三弾は、一般消費財が中心ですから米国の消費者にとっても良いことではありません。米国のスーパーマーケットその他の消費財を取り扱う企業家たちのみならず、消費者からも反対の声が上がりました。第四弾では、新たに衣料や履物も対象となり、米アパレル・フットウェア協会は、「米国経済を破滅させる自傷行為だ」と非難をあげます。もちろん、中国の対抗措置で被害を受け続けている米国大豆協会は、513日「大豆農家は関税にうんざりしている」と声明を発表、「関税(引き上げ)をエスカレートさせ続けることは支持できない」とトランプ政権を批判しました。
現在、202011月の大統領選に向けて、民主党からは、ジョー・バイデン前副大統領、バーニー・サンダース上院議員はじめ20名近くの人々が立候補し、トランプ政権打倒の選挙運動を盛り上げています。トランプ大統領の支持基盤であった、農村部やラストベルト地域で、いずれも現在、トランプ大統領が、民主党の有力候補に対して、劣勢なのですが、それはこの報復関税による国民生活の困難がトランプ支持率を下落させているからです。
 もちろん、米国議会の中には、根強い中国警戒論があることは事実です。米国議会は、201711月、「対米外国投資委員会」(CFIUS)の権限強化を図る法律を提出しましたし、20186月には、上下両院が、それぞれCFIUS改革法案を可決しました。トランプ大統領の意図は、中国の知的財産権侵害を食い止め、技術・軍事覇権を中国に奪われないようにすることにありますが、これを米国世論と議会が一緒になって支えている側面があります。
 とりわけ現在トランプ政権が危険視し、見直しを迫っている産業政策は、「中国製造2025」なのです。カギを握るのが、軍事に直結する人工知能(AI)や次世代通信規格5Gなどの先端技術であり、中国がサイバー攻撃や技術移転の強要で知的財産を不正に獲得し、国有企業に補助金をつぎ込んで米国企業の競争力を弱め、米国から技術・軍事覇権を奪おうとしているというのです。

まとめにかえて
 貿易赤字を高関税措置によって是正することはできません。なぜなら、米国の貿易赤字が増大するのは、トランプ減税などによって米国の内需が拡大しているからです。対中高関税措置に対して、国民からの反発は大きく、来年の大統領選を控えて、トランプ大統領の対中ディールは、深刻なジレンマに陥っているようです。しかし、最近、中国の経済成長率が、この米国による対中制裁が効いたのか、6.2%に落ち込む事態となり、これがトランプ大統領を喜ばせています。トランプ大統領は、対中高関税措置によって外国企業が、中国から抜け出ていることにその要因を求め、「中国は、米国の要求を呑むべきだ」と攻勢に転じました。中国は、対米対抗措置の継続で、対米持久作戦をとっているようですが、米中貿易「戦争」が長引けば、日本も含め世界経済に与える影響は、無視できないことになる可能性があります。

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